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子どもの日に食べるの柏餅や粽には由来はあるの?

      2016/02/04

柏餅とちまき
子どもの日に食べる柏餅や粽(ちまき)ですが実はきちんとした行事食なんですよ。

何気なく食べていた柏餅や粽ですがなぜ端午の節句(こどもの日)に食べるのか気になりませんか?

という訳で今回は子どもの日(端午の節句)で食べる柏餅や粽の由来についてお話していきますね。

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子孫繁栄の意味を持つ柏餅

日本独自のお菓子である上新粉でつくった餅で餡子を包んで柏の葉でつつんだ柏餅ですがどうして柏の葉を使ったのか?

柏は昔か神聖な木とされており柏の木に神が宿っていると言われていました。そのことから拍手を打つという言葉が生まれました。

また拍は新しい芽が出ないと古い葉が落ちないので、子どもが生まれるまで親は死なない…つまり子孫繁栄の意味が込めて柏の葉が使われるようになったんですね。

柏餅の葉の向きで中身が違うって知ってました?

柏餅の葉が表を外向けに巻いてあるのと裏を外向けに巻いてあるので中身が違うんですがご存じですか?

葉が表を外向けに巻いてある場合は小豆あんで、裏を外向けに巻いてある場合は味噌あんが入っています。

ちなみに葉の表面がツルツルしているのが表でザラついているのが裏になります。

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粽(ちまき)は中国から端午の節句と一緒に伝わってきたもの

柏餅は日本独自のものでしたが粽は端午の節句と一緒に中国から伝わってきたものなんです。

現代から約2300年前の中国には屈原(くつげん)という詩人がいて国王の側近として使えていました。

国を強く思い正義感がある屈原はみんなからとても慕われていたんですが、陰謀により失脚してしまい国を追われてしまうことに。

当時の思いをうたった長編叙事詩の離騒(りそう)中国文学の名作になりましたが、屈原は国の未来に失望して汨羅(べきら)という川に身投げしてしまいます。

屈原が川に身を投げた日が5月5日でした。

国民たちは屈原が魚に食べられないように太鼓をたたいて魚を脅したり供物を投げ入れて弔いましたが、屈原に届く前に悪い龍に盗まれてしまいました。

盗まれないようにもち米を龍が苦手な楝樹(れんじゅ)の葉でつつんで、邪気を払う5色の糸で縛ってから川へ流すようにしたら、無事に屈原のところへ届くようになり粽が誕生しました。

5月5日に粽をつくって災いを避ける風習が端午の節句となり日本に伝わってきたんですね。

現代では粽に使われている葉は茅(チガヤ)という木の葉です。また茅の他に笹やマコモなどの葉を使うこともあるようですね。

関東と関西では端午の節句の食べ物で思うものが違う!?

端午の節句で食べるものといえば柏餅か粽ですが、端午の節句の食べ物と言われてあなたはどちらを思い浮かべましたか?

端午の節句は平安時代に中国から伝来したときに粽も一緒に伝えられて全国に広まりました。

江戸時代で端午の節句は五節句のひとつとなったときに、江戸では柏餅が定着して上方は粽が伝承されていきました。

現代でも関東では柏餅・関西では粽が親しまれていますね。

子どもの日に食べるの柏餅や粽の由来まとめ

子どもの日
子どもの日に食べる柏餅や粽は行事食である。

拍は新しい芽が出ないと古い葉が落ちないため子どもが生まれるまで親は死なないということから、子孫繁栄の意味を込めて柏の葉を使っている。

柏餅に巻かれている葉の向きで中身が違い、表だと小豆あんで裏だと味噌あんが入っている。

粽は端午の節句と一緒に中国から伝わってきたもの。屈原を弔うために川に投げ入れた供物を龍に盗まれないように、龍が苦手な楝樹の葉でもち米を包んで邪気を払う力がある5色の糸で縛り川に流すようにしたのが粽のルーツ。

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